エンドロール

 

 

 

 

 

 

 

お久しぶりです。酸ちゃんです。Twitterに現れなくなってどれくらい経ったでしょうか。そんなに経ってないはずなのにあたしは何年単位の体感時間で今の今まで生きてました。

 

大丈夫です、生きてます。

 

一部、本気で生存を心配してくれた方がいてくださって、こんなただのオタクの私にありがとうございました。心から感謝致します。

 

はじめに言っておきます。

※これは担降りブログではありません

 

 

・・・

 

 

今の感情的には、あたしがかつて大好きだった桜、咲いたよの歌詞が胸を苦しくさせます。発表当初、ラップ詞:有岡大貴 の表示が嬉しくてたまらなくて・・・カラオケで最初に表示されるのが嬉しくて何度も歌って、この歌詞にどういう経路で辿り着いたのか有岡大貴の頭の中が知りたくて雑誌からメディアでのコメントから情報を拾い集めてまとめました。彼の言葉遊びのセンスがただならないものだと確信しました。有岡大貴はやはり頭のいい人だと思い知らされました。

"あたしもこんな切ない恋愛有岡とできないかなー"なんて自分が歌詞中のヒロインになりたいとまで10代の私はメルヘンワールド全開だったっけな。それほどあの頃憧れの年上な有岡大貴が大好きでした。

 

そんな有岡大貴との数ある思い出の中でもビックニュース化した桜、咲いたよのあの有岡大貴が書いたラップ詞が今の自分と重なってしまうことになるなんて。そんな大好きで大切な有岡が書き上げた歌詞が将来自分を苦しめることになるなんて誰も想像してなかった。

 

忘れたくても全てが君を連想
かき消す為流す二人のエンドロール
君の経路 僕の回路

君へ帰ろうとしたこの感情

 

いつも近くで支えてくれた
離れて気付く君の心地よさ
顔を上げて 見てたSame Day
列なるチェリーブラッサム

 

 

 

 

正直に白状すると私、有岡大貴に対して過去の凄まじい熱量に戻れなくなったんです。本当に去年、アリーナツアーとドームツアーをがむしゃらに参戦していた自分はどこの誰だったんだろうと思ってしまうくらい落ち着いてしまったんです。

 

たしかに今年はツアーが終わって冬から夏へ移行する時期、多忙ではありました。しかしこれは例年通り。この時期(上半期)はいつも私生活が荒れます。生活リズムも崩れるし、感情も揺れやすく遊んでばかりになります。

そうなる自分も去年の自分は想像できていたし、夏には有岡大貴に過激に恋する自分の姿も予想していました。

 

ただ、今の自分が実感する感情は全く別物でした。なぜか去年のあの勢いが帰ってこないのです。親や友人等に心配されるたび、なぜこうなってしまったのかはっきりとした原因を突き止めたくて数ヶ月頭を抱えて考えてました。

 

まだはっきりは見えては来ませんが

少しわかったことがあります。

 

 

「10年やってきましたけど今が一番幸せです」

 

有岡大貴が京セラドームで放った言葉です。

これを聞いた当時は無自覚でした。しかし、何故かこの言葉ばかりがずっと引っかかっていて。彼の中でその時なにかが今完結されてしまった気がしたのです。彼はきっとそんなつもりがなかったのかも知れません。ドームで見る景色の幸せを噛み締めた時の彼なりの最高表現の発言だったのかもしれません。ただのオタクの私には推測しかできず個人的な受け止め方しかできません。この状態が満足なの?思い描いてた10年ってこれでよかったの?ってはじめて彼の意見に賛同できなくなった自分が顔を出した。

 

最近自分の中ではっきり出現した気持ちは今までの私は彼の、彼の属するグループの「進化」に対して希望と結果に対し時間とお金の対価を払っていたのだと。

 

だとすれば、彼の中で何かが完結された以上これ以上の「進化」への希望が突然消えてしまったのです。

 

追記すると、この発言一つだけではなく、ツアーでの大事なファンとの交流の場である最後の挨拶のテンプレートのフル活用や彼の現場での振る舞い方の変化。そして、圭人の一件でのファンへのフォローの無さ。自由更新が許されるじゃんペにすら現れてくれなかったいくつものメンバー達。連日のマイナス傾向のスキャンダル。いつからか彼から感じなくなった仕事への貪欲さ。最近の彼らの笑いが自分に合わなくなったこと。積もりに積もって私の中で生まれた「彼や彼の属するグループの人たちの目に私たちファンは映っているのだろうか」という疑問と私自身の変化。

 

ううん、これだけじゃない。もっともっと色々あるはずなんだけどある一定の期間を超えるまで見て見ぬふりをしていたから。この過去と未来の幸せすぎる私の人生を全否定することに対する不安がとてつもなく大きかったから。

 

ずっともっと焦ってよ!頑張ってよ!って抽象的な感情を押し付けてきたけど時間が経ってやっと客観視できるようになって冷静になれて。

 

 

もう情に流されるのはやめよう

私だけのお金と時間と感情だ

今の自分が使いたいように使えばいい

 

 

そう思った瞬間に気持ちが楽になって。私自身は一体何に対して幸せを感じるのか。オタクをする上で何を最優先すべきなのか。1度真正面から自分と向き合うことにしました。すると決して今まで自分が恐れて出来なかったことが嘘のようにスラスラ自分の感情が定まってきて結論が出ました。

 

「頑張る人達を見続けたい。その熱すぎるぐらいのパワーを分けてほしい」その一択でした。

 

長年の情でオタクをするのも、彼らの作り出す現場が、歌が好きだからオタクでいる人も、単純に顔が好きだからオタクする人もそれぞれオタクをする上で軸になる考え方があるだろう。私の考えが全員に当てはまるとも思っていないし私の在り方が間違ってるとも思わない。今まで私が幾度となく言っていた「オタクは娯楽活動だから」という見解。義務化することも違うし、権利を主張するのも違う。オタクに許された選択権はファンでいることを継続するか降りるのかの二択であること。

 

最初はみんなただ純粋に好きって気持ちで入ったはずなのにいつも間にか愛が歪むよね、ってよく言うけどそれは娯楽活動から逸脱してるからいつまで経っても私は新鮮な気持ちで毎日好きを更新したい。少からずtwitterや生きる環境が与えるインパクトは存在することを学んだ。私の視点だけで有岡大貴を見ることが出来たらなにか変わったのかな。純粋にあなたの努力に惹かれて揺るがぬ愛が存在すれば昔も今も印象は変わらなかったのかな。そう思うとあたしの愛もいつの間にか初々しかった頃から歪んでしまったんだろう。結局どう考えてもマイナスにしか行き着かなくなってしまった。純粋に応援できた頃を取り戻したくてたまらない。年齢と比例して・・・そんなエビデンスをもつものではなくてただ私自身が嫌いな自分に変わってしまっただけなんだろう。

 

「娯楽」と思えなくなった以上、私は離れます。苦しむことは私の考えに背く。ただそれだけ。ただでさえ倍率の高い現場ばかりのJUMPのファンの人達にこんな中途半端な感情でファンやってるのは申し訳ないなんてそんな安っぽい気持ちじゃない。今まで他人のためにオタクしてたんじゃないから。むしろ私自身のために離れるんだ。

 

とてもここ数ヶ月苦しかった。有岡大貴のことが好きな自分が息ができないのは本当に辛かった。彼をテレビで見てもよそ見する自分がいて彼のラジオを忘れる度に自己嫌悪に陥る自分がいた。だんだん雑誌や東京ローカルの番組をわざわざチェックしなくなって私の知らない彼が増えていった。彼にワクワクしなくなった。何をしてるのか気にならなくなった。知りたい、会いたいと思わなくなった。彼はとってもいい才能を、人情を、アイドル性を持ち合わせているのに自分が苦しいからってもがく手段が彼を否定することしか出来なくなってしまっていた。早く楽になろうとしている自分が嫌いでたまらなかった。呼吸しようとすればするほど最低な自分しか出てこなくなってた。

タイミングが良く、応援したいと心から思ってた人がやっとデビューした。でも彼と冷静にはっきり比較するほど嫌いになれなくて。両方のいいところを見つけてオタクライフをエンジョイできるほど器用でもなくて。どこかで存在がちらつく状態が苦しかった。本気で心から好きだった分私ずっと苦しかったんだ。

 

繕わない有岡大貴が好きだった。自分に自信がなくて、ずっと自信がなくて、今も自信がなくて、Jrの頃から自分の立ち位置を探して、周りに愛される人だから沢山人が寄ってくるのに「今の自分があるのは運だから」と言って自分自身を認めようとしない人間味のある有岡大貴が好きだった。こんなに私から見て輝いてる有岡大貴が私と同じように自信が無いのに頑張ろうと努力するなら私ももう少し頑張れるかもしれない、そうやっていつも励まされた。

 

愛くるしい笑顔で楽しそうに仕事をする有岡大貴が好きだった。有岡大貴のおかげで自分自身が楽しいと思える仕事に出会いたいと未来を描くことが楽しみになった。私の将来を明るく照らしてくれた。

 

魅せ方が上手な有岡大貴が好きだった。

あなたのダンスは世界で1番かっこよかった。視線も取り入れて全てを完成させる雰囲気、指の先まで神経が張り巡らされた手を抜かないダンス、音のとり方だって後ろ姿ですぐ有岡大貴とわかるほど個性的だけど美しかった。

歌だってここ数年で驚くほど躍進した。1番変化が大きかったのは2017-2018のドームかな?ソロパートを自分のものにしている有岡大貴をみてこんなに歌えたんだってはじめましての感情になったっけな。

 

 

有岡大貴に集まる人達が好きだった。グループが好きだった。いつも内弁慶で自分たちの方向性を見つけるために必死に試行錯誤している姿がすきだった。ずっこける率は高確率だったけど目の前の彼らが全力だったからなにをされても勇気を貰えた。若すぎるデビューで白い目で見られることが多くて悲しさや苦しさすらもあらわにすることが許されなくて、大人の下で全力だった彼らが我流で足並み揃えて努力して光目指して歩いているHey!Say!JUMPが大好きだった。

 

あたしの青春全てだった。あたしの青春時代には常に横に有岡大貴とHey!Say!JUMPがあった。ガラケー時代からmixi、デコログ、掲示板使いこなして情報入れて雑誌切り抜いて透明の下敷きに挟んで今より一回り大きいポスター家になんの躊躇もなく穴刺して飾って。高校の看護実習で辛い時も背中を間接的におしてくれたのは彼らだった。不動に存在する私の幸せの基礎は全て彼らだったから、彼らがいるから私は辛いことも次会えたときの幸せの追加燃料になると思って頑張れた。純粋な自分のままでいられたのは紛れもなく有岡大貴とHey!Say!JUMPのおかげだ。

 

今こうして想いを連ねてるだけでも涙が溢れて大好きだった気持ちが止まらない。どこで終わればいいのか、どのようにまとめるべきなのかわからないほど私の中でも12年は長すぎるものだった。

離れる理由よりも圧倒的に好きだった記憶の方が多すぎて自分の感情を何度も疑う。でも、これが過去の自分に誘導されていることもわかってる。

こんな苦しい現状に至っても12年前のあの日、有岡をテレビで目にした自分の過去を後悔するはずはなくて。こうして離れることがはじめての体験だから、自分の判断が正解か不正解なのかわからないし手順を間違えているのかもしれない。大きな過ちを犯そうとしているのかもしれない。それぐらい有岡大貴を好きだった自分を殺すのが今も怖い。新しい自分と対面する恐怖が何度も襲ってくる。それほど有岡大貴は安定をくれた。私に安らぎと癒しを常に与えてくれてたのだと改めて気付かされる。

 

私の最高の青春時代をくれた有岡大貴無しでは私の人生は今後も語れないと思う。

自分自身の人生をだいすきだと心から思えるのは間違いなく太陽のように私の1番遠くで、でも1番私の気持ちのそばにいてくれた有岡大貴だから。

 

今の有岡大貴が心から好きだと言えるようになれば私はまた軽率にあなたに戻ってくると思う。あなたに魅力を感じてケロッと現場にいるかも。魅力を感じたのが力尽きてボロボロの貴方かもしれないし世界に進出している貴方かもしれない。でも過去の貴方の輝きを追って戻ってくることはもう絶対にない。5歳児だの雄岡だのそんなの私は知らない。あたしが好きだったのはがむしゃらな有岡大貴だ。そしてこの感情に至ったのは変化した彼のせいではなく私自身の捉え方が変わったせいでもあるということはわかっている。有岡大貴は悪くない。

 

5年後も10年後も僕達から離れないでくださいって言った時、何を言ってるんだなんで心配になるんだよって涙を流しながら頷いてたのに私の意思が弱くてごめんね。

 

こんなに気持ちを綴ったけれどもやはり有岡大貴の可能性を信じずにはいられないから担降りという言葉は使わない。どこかで願ってる。またあなたを好きになりたい。それほど有岡大貴を好きな人生は最高に幸せだったから。有岡大貴を通じてたくさんの大好きな人たちに出会わせてくれてかけがえのない財産になった。

 

 

期待も込めて私の中で有岡大貴担当としてのエンドロールを今流します。このエンドロール後にNEXTの文字が今後の人生にあると信じて。

どうか私の感情よ本能的にまた動き出してくれ、もう一度貴方に惚れ込みたいと今は願うことしか出来ない。

 

 

全く自分には関係ないなと思いながら読んでる人はこの世のカーストで最上級レベルで幸せの立ち位置にいると思って幸せ噛み締めてください!結婚より離婚の方がエネルギー使うって言うけどオタクも一緒。気持ちは定まったところで部屋のあらゆるところにあるグッズや円盤の数々が歴史を物語って苦しめてくる。推しと出会えたことも何百億の奇跡だけど推しを推し続けられるほど惹かれていることも当たり前と思わないでほしい!幸せ者なんです!!!素敵万歳!!!

 

有岡大貴がもっとファンに囲まれて幸せになることを祈ってます。

今のあなたのファンはきっと今のあなた自身が好きだから自信を持ってほしい。昔も今も変わらず有岡大貴の幸せを心から願ってます。

 

 

今は咲くより散るよりも綺麗に枯れていきたい。貴方との大切な青春時代が永遠に私の心の中で美しいまま存在し続けてくれますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

end.